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今作 Ⅱ
INFRAMINCE Ⅱ アンフラマンス Ⅱ
「物質界にいながら、可能なかぎり非物質界に近い、その寸前に留まることを指した言葉。現実と非現実の境界の薄さ(厚さ)を測る単位。」
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今作 Ⅱ
INFRAMINCE Ⅱ アンフラマンス Ⅱ
「物質界にいながら、可能なかぎり非物質界に近い、その寸前に留まることを指した言葉。現実と非現実の境界の薄さ(厚さ)を測る単位。」
前回の投稿で、「閉ざされの社会」で生きていくしかないのか?斜に構えたニヒリズムに陥るしかないのか、否!という事を書いた。
これに関して補足と追記をしていく。
「閉ざされの社会」で生きていくしかのないのか?否!同じ「開かれ」を共有する仲間と共に生きていけばいい、という現状の答えを前回に書いたが、これは「開かれ」を共有する仲間と共に「閉ざされの社会」から一緒にお先に脱出しちゃおうまぁ後は知らないけど、という、これすらもニヒリズム(メタ的に)の罠に陥っていると言える。
このメタ的ニヒリズムのマトリョーシカの罠に僕らはいつまでも捕らえられてしまうのか?
それへの対処としては「閉ざされの社会」から脱出すればいい、が、いつでも帰られる自分のルーツを持つ。「閉ざされ」と「開かれ」の境界、淵に立ち続けるという事。<根をもつこと 翼をもつこと> これは見田宗介(=真木悠介)先生の言葉。物事を一面で捉えるのではなく、必ず反対側からも捉える。その上で両方の視座を結合すると、新しい第三の視座が生まれる。これが見田宗介先生の仰る「高原を見晴らす」という事であり、今の自分の思考全体を包み込んでいるような教えとなっている。自分がまだまだ未熟で、書いてる事は立派にみえても体験が伴っていないため、とても抽象的な捉え方しかできていない。これからの自分はもっと体験と実践をしていく必要があると思っている。
少しベクトル違いの脱線をするが、ニヒリズムといえばね。自分も随分と長い間ニヒリズムの落とし穴に落ちてしまっていた。
それは文化的コンテンツ(本、映画、音楽、絵画など)を「分かってる、知ってる」という自分への嘘や誤魔化し、それによって得られるその場限りの見栄と偽物のプライドゆえに、他者に向けた斜に構えた態度である。
それが、今年のはじめ、そういった虚構のプライドの粉砕、そしてニヒリズムという名の落とし穴からの脱出(救済!)を実感したエピソードがあった。
映画『シン・レッド・ライン』テレンス・マリック監督、を今年のはじめに観た。正確には人生2回目の鑑賞。この2回目というのが重要で。とても仲の良い友人から「藤井君、シン・レッド・ライン観た方が良いよ!」と言われた時に自分は、高校生くらいのときに1度観た事あるんですよねぇ、と言って、その友人からは「それでも今の感性でもう1度観た方がいいと思うけどなぁ。」と言われていた、というエピソードがあって。
それで今年はじめに人生2回目の『シン・レッド・ライン』を鑑賞。映画の内容はさておき、自分の「分かってる、知ってる」という嘘や誤魔化し、他社への見栄と偽物のプライドがいかに愚かな事なのか、カッコ悪い事なのか、といった事をもろに喰らって、完全に貫かれ、串刺しになってしまった。映画鑑賞後は、その愚かなプライドが粉々に粉砕し、涙がぼろぼろと溢れた。(それをきっかけにして、最近映画見てもよく泣くようになった。前まで全然泣けなかったのに。これはただおっさんになっただけか!?笑)その後友人には電話で感謝を伝えたけれども、改めてここでも感謝を伝えたいと思います。いつもありがとうございます。
通販で買った音源は特に、最後は棚には残らない。今回かなり処分したけど、残したものには買い方、買った人、買った場への記憶、そのストーリーを思い出すゆえ、大切にしたい、自分の記憶と心に引っ掻き傷を残した作品。だけが、棚には残る。
それ以外の通販などで買ったものは、全て「自己のホメオスタシス」であって「所有欲」「自己を支える、と思い込んでいるだけな拵え物のルーツ」でしかない。
収集、コレクション、などは拵え物の掲げる精一杯のトロフィーでしかなく、外から見れば輝かしい一方で中から見れば空っぽなトロフィーでしかない。
とまぁ「自己のホメオスタシス」などとカッコいい言葉使って書いてみたが、今回レコード売った理由なんて、外遊びし過ぎて「お金」が無くなってきた事を「所有欲」が無くなったなどと言って正当化したいだけなんですけどね、、、。
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「人に迷惑をかけないように」の迷惑とは何か。そしてそれを迷惑(不快)と感じるかどうかは受け手側の感情でしかないわけで。
↑もっと考察してアウトプットしていきたい。また後日。
殺人犯の親に自己を重ねる。
職場で昼飯時、NHKにて兵庫県で起きた小学生を2人殺害した服役中の男が別の事件にも関与していた、というニュースをやっていた。
そのニュースを受け職場の人達は「こんなやつ死んでほしい」というような事を言っていた。直球ストレート、俺も同じ年代の子供がいるからわからないでもない。が、それを言っているポジションがいつもあくまでも被害者からのポジションでしかなくて。殺された子供の親への遺族への感情移入、だけで終わってる。俺たちは加害側になりうる場合も当然ある。つまり、殺人犯の親になって考えてみる、という事。
「考えてみる」とは書いたけど、「考えてしまう」かなあ。
以前みた映画「ニトラム」でも主人公ではなく主人公の父親にとても感情移入していた。
https://kuromura.blogspot.com/2024/10/nitram.html
↑この、考えていくなかで、その思考を書いていくつもりでおったけど、うーんなんか集中力が続かなくなったのでまた後日改めて。
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全体的に中途半端な内容となってしまった。
最近聴いてよかったやつ貼ってお茶を濁す。ストーリー性が良し。