10.26.2025

INFRAMINCE Ⅱ

前作◆

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今作 Ⅱ

INFRAMINCE Ⅱ アンフラマンス Ⅱ

「物質界にいながら、可能なかぎり非物質界に近い、その寸前に留まることを指した言葉。現実と非現実の境界の薄さ(厚さ)を測る単位。」





tracklist
#1 Old Softy - Heavy Fog
#2 せせらぎ
#3 Yasmin Williams - I Wonder (Song for Michael)
#4 Indigo Sparke - Colourblind (Castle Demo)
#5 M.SAGE - River Turns Woodley (for Frogman)
#6 C418 - Click
#7 Fluorescent Heights - Underwater Sequence
#8 Balam Acab - Big Boy
#9 Airhead - Autumn
#10 Steve Good - Folding Inwards

2025年10月制作

9.10.2025

VISION CONTROL 3

前回の投稿で、「閉ざされの社会」で生きていくしかないのか?斜に構えたニヒリズムに陥るしかないのか、否!という事を書いた。

これに関して補足と追記をしていく。

「閉ざされの社会」で生きていくしかのないのか?否!同じ「開かれ」を共有する仲間と共に生きていけばいい、という現状の答えを前回に書いたが、これは「開かれ」を共有する仲間と共に「閉ざされの社会」から一緒にお先に脱出しちゃおうまぁ後は知らないけど、という、これすらもニヒリズム(メタ的に)の罠に陥っていると言える。

このメタ的ニヒリズムのマトリョーシカの罠に僕らはいつまでも捕らえられてしまうのか?

それへの対処としては「閉ざされの社会」から脱出すればいい、が、いつでも帰られる自分のルーツを持つ。「閉ざされ」と「開かれ」の境界、淵に立ち続けるという事。<根をもつこと 翼をもつこと> これは見田宗介(=真木悠介)先生の言葉。物事を一面で捉えるのではなく、必ず反対側からも捉える。その上で両方の視座を結合すると、新しい第三の視座が生まれる。これが見田宗介先生の仰る「高原を見晴らす」という事であり、今の自分の思考全体を包み込んでいるような教えとなっている。自分がまだまだ未熟で、書いてる事は立派にみえても体験が伴っていないため、とても抽象的な捉え方しかできていない。これからの自分はもっと体験と実践をしていく必要があると思っている。


少しベクトル違いの脱線をするが、ニヒリズムといえばね。自分も随分と長い間ニヒリズムの落とし穴に落ちてしまっていた。

それは文化的コンテンツ(本、映画、音楽、絵画など)を「分かってる、知ってる」という自分への嘘や誤魔化し、それによって得られるその場限りの見栄と偽物のプライドゆえに、他者に向けた斜に構えた態度である。

それが、今年のはじめ、そういった虚構のプライドの粉砕、そしてニヒリズムという名の落とし穴からの脱出(救済!)を実感したエピソードがあった。

映画『シン・レッド・ライン』テレンス・マリック監督、を今年のはじめに観た。正確には人生2回目の鑑賞。この2回目というのが重要で。とても仲の良い友人から「藤井君、シン・レッド・ライン観た方が良いよ!」と言われた時に自分は、高校生くらいのときに1度観た事あるんですよねぇ、と言って、その友人からは「それでも今の感性でもう1度観た方がいいと思うけどなぁ。」と言われていた、というエピソードがあって。

それで今年はじめに人生2回目の『シン・レッド・ライン』を鑑賞。映画の内容はさておき、自分の「分かってる、知ってる」という嘘や誤魔化し、他社への見栄と偽物のプライドがいかに愚かな事なのか、カッコ悪い事なのか、といった事をもろに喰らって、完全に貫かれ、串刺しになってしまった。映画鑑賞後は、その愚かなプライドが粉々に粉砕し、涙がぼろぼろと溢れた。(それをきっかけにして、最近映画見てもよく泣くようになった。前まで全然泣けなかったのに。これはただおっさんになっただけか!?笑)その後友人には電話で感謝を伝えたけれども、改めてここでも感謝を伝えたいと思います。いつもありがとうございます。


4.08.2025

拵え物(こしらえもの)

通販で買った音源は特に、最後は棚には残らない。今回かなり処分したけど、残したものには買い方、買った人、買った場への記憶、そのストーリーを思い出すゆえ、大切にしたい、自分の記憶と心に引っ掻き傷を残した作品。だけが、棚には残る。

それ以外の通販などで買ったものは、全て「自己のホメオスタシス」であって「所有欲」「自己を支える、と思い込んでいるだけな拵え物のルーツ」でしかない。

収集、コレクション、などは拵え物の掲げる精一杯のトロフィーでしかなく、外から見れば輝かしい一方で中から見れば空っぽなトロフィーでしかない。

とまぁ「自己のホメオスタシス」などとカッコいい言葉使って書いてみたが、今回レコード売った理由なんて、外遊びし過ぎて「お金」が無くなってきた事を「所有欲」が無くなったなどと言って正当化したいだけなんですけどね、、、。

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4.03.2025

桜について

今年、花が咲いてる桜を見ても何も感じない。ついに僕の感受性そして感情の劣化はここまで来てしまったのか?などと思ったが、いやいや待てよと、先月の静岡県の伊豆諸島へ出かけた道中の高速道路から見える深い山々、兵庫県や三重県のローカル山道を走っている時に見る深い森林の様子、人気の無い山へのハイキング、雄大な植物の群生を見てはっとその世界に吸い込まれるような、植物世界への開かれ、そして、くらくらと目眩が起きるような状態にもなるし、まだまだ感受性は劣化していないと思いたいんだけどなあ、などと考えていた。
んじゃ、なぜ桜には何も感じないのか。なんかねぇ、「やぁ!オレっち桜!今年も綺麗に咲いてるよ〜。」っていうなんとも言えない陽気な部分が苦手なのがひとつ、まぁこれはちょっと冗談。
ええとこれが最重要だけど、桜には原生林や植物群にはありえない「人の気配や意図」をもろに感じる。これは他の「◯◯並木」のような人工的に植えられた全ての植物に言える事だけども、(杉の木含む)人間社会のシステムの枠に収まっている、人間社会によって創り上げられた植物のようで、それゆえとても窮屈に感じてしまう。植物世界は本来もっとカオスだし、カオスだからこその拡がり、そして目眩を生じさせる。
こうすると街が綺麗でしょ!という「人の意図」によって人工的に植えられた桜を見ても、雄大な山々を見た時に感じる「世界への開かれ」が全く無く、ただただ「システムへの閉ざされ」を感じる。その「閉ざされ」空間である人工的な桜並木をありがたがって歩く「システムに閉ざされた」人々を見て、僕たちは「閉ざされの社会」で生きてゆく他ないのか?!などと斜に構えたニヒリズムに陥りプチ絶望するが、いやそうじゃない。同じ「開かれ」を共有する仲間と共に生きてゆけばいい、というのが今のところの自分の中での答え。

「人の気配や意図」と言えば、人に写真を撮られるより、カメラを置いてタイマーセット。3、2、1、ぱしゃり!のほうが、人ではなく(意図していない)カメラに撮られてる感覚、つまり「抜かれる」感覚が無く、カメラという物体に撮られてる気がして、集合写真などでみんな緊張感なく自然体の楽しい写真が撮れやすい気がする。そして、「意図していない」写真の方が、僕としては好みの写真だ。「意図していない」ゆえの瞬間、を写真から感じる。
「意図していない」は言い換えるなら「無意識」が適切なのかなぁ。自分は「無意識」から出てきた表現全般というものにいつも感動しているかもしれない。
無意識な写真と言えば、先日、写真家として活動されておられる釣崎清隆氏の個展へ行った時も、本人に「この写真は釣崎さんがほぼ無意識のうちにシャッター切ったような写真のように見えて特に好きです。」とお伝えしたら釣崎さん自身「気にしてなかったけども、そうですねほぼこれ無意識ですね。」というような会話をしたのを思い出した。

「人の気配や意図」→「意図していない」
これを「意識」ではなく、別角度から掘り下げてみると、「目的と手段」という話になってくる。つまり、「目的」が先行している物事に対しての嫌悪感。「こうすると綺麗だろう!」と人々に訴えかけるようにして植えられた桜は、いわば「目的」が先行している桜であり、それゆえに自分は何も感じないのだろう。あ〜良かった!(花※花というふたり組いたな)自分の感受性が劣化しているわけじゃなかった!しかしまぁ性格及び思考回路には難あり、つまり社会(システム)不適合者、であることは間違いない。
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2025年、初投稿。あけましておめでとうございます。またたまに書いていこう。書かなくなると、何というのかなぁ、良いリズムが無くなるんだよな。まぁいいや。あ、今年から一人称を俺ではなく僕にして書いてみます。ええとそうだなー、長くなりそうだし、なんとなくということで。では今年もよろしくお願いします!

11.22.2024

雑記集7

自分の髪の毛は気持ち悪くないのに、その自分の髪の毛が抜けた場合、自分の髪の毛なのにも関わらず気持ち悪さが出る。自分のものでは無くなった抜け毛のビジュアルの気持ち悪さ。市民プールの脱衣室の生理的な気持ち悪さに通ずるかもしれない。まぁ自分は常時坊主なので、これは人から聞いて妙に納得した話。髪が抜けると自分のものではなくなる。
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「人に迷惑をかけないように」の迷惑とは何か。そしてそれを迷惑(不快)と感じるかどうかは受け手側の感情でしかないわけで。

↑もっと考察してアウトプットしていきたい。また後日。

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はじめまして。お仕事何されてるんですか。趣味は?特技は?ええ、そんなお見合いパーティーみたいな分かりやすいプロフィール欄がないと会話できないのか。それは本当にその人と同じ空間同じ時間を共有して会話しようとしているのか。
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殺人犯の親に自己を重ねる。

職場で昼飯時、NHKにて兵庫県で起きた小学生を2人殺害した服役中の男が別の事件にも関与していた、というニュースをやっていた。

そのニュースを受け職場の人達は「こんなやつ死んでほしい」というような事を言っていた。直球ストレート、俺も同じ年代の子供がいるからわからないでもない。が、それを言っているポジションがいつもあくまでも被害者からのポジションでしかなくて。殺された子供の親への遺族への感情移入、だけで終わってる。俺たちは加害側になりうる場合も当然ある。つまり、殺人犯の親になって考えてみる、という事。

「考えてみる」とは書いたけど、「考えてしまう」かなあ。

以前みた映画「ニトラム」でも主人公ではなく主人公の父親にとても感情移入していた。

https://kuromura.blogspot.com/2024/10/nitram.html

↑この、考えていくなかで、その思考を書いていくつもりでおったけど、うーんなんか集中力が続かなくなったのでまた後日改めて。

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全体的に中途半端な内容となってしまった。

最近聴いてよかったやつ貼ってお茶を濁す。ストーリー性が良し。