そしたら大体12時間が仕事モードとする。1日24時間の約半分、それを長期目線で見るならば人生の約半分は仕事の時間となるな、という話題となった。んじゃー果たして本当にそうなのか?問題を書いていく。
上の話だけを聞けば、「人生の約半分は仕事。あとの半分がプライベート。プライベートを重視!とはいえど仕事あってのプライベートであり遊びであり、仕事がなければプライベートも無いよね。」というようなありきたりな”普通という名のシステム”に囚われた言葉、なんだか聞いたことあるような言葉。そういうおもんない事を言わないようにしていく必要がある。
24時間のうち12時間は仕事、であるならば確かに時間としての12時間は24時間の半分、それは間違いない事実。しかし人は本当に時間の流れを半分に感じているのか?ここからは時間の流れを感じるための意識の部分の話になってくる。
例え話をする。
・私は今、信号待ちをしている。あれれ、なんか今日の信号なかなか青にならないな。え!マジでいつまでたっても青にならないぞ、あ、今なった。なげー。なんだこれ。
・私は今、時計の秒針を見ている。それはG-SHOCK的なデジタル時計かもしれない。どちらにしても見ている(意識した)スタート地点によっては1秒の流れがやたらと早い、もしくはやたらと長い、気がする時がある。
・私は今、めちゃくちゃ忙しい。やることがいっぱいだ。午前中のうちにこれだけの事をやらなければならない。あ~やっと終わった。え!午前中こんなに動き回ったのにまだ12時?午後もこんだけ時間あるのか、なんか得した気分。(もしくはまだ動かなければならないと、どっと疲れる)どちらにしても日常に比べるとなんか時間の流れが違うなあ。
・私は今、とても楽しい遊びをしている。(ここからは上の例と同じ)
こういった例え話、誰しもが感じた事があるとは思う。今回の鍵(キー)はここにある!気(キー)がしている。
話を戻す。24時間のうち12時間は仕事。それはそうだ。しかし残り12時間、さらに完全休日の12時間。遊んでいる時の12時間、信号や時計を凝視し続けているだけの12時間、ドラゴンボールの精神と時の部屋にいる時の12時間、人は果たして12時間の流れ方は同じ感覚で捉えるか?違う、と断言できる。となると、上に書いた「12時間働くならば人生の約半分は仕事」という暴論は崩れることになる。よっしゃ〜!となると、俺たちはどういった意識をもって仕事の時間を向き合えば楽しく面白く幸せマインドになれるのか?が分かってくるような気がしてくる。
「人生の半分は仕事」というのはあくまで時間を平面的、ただの数字としてしか意識できていない。時間は流れ続けているという概念である。その流れを意識し知覚しうるのは人間の頭の中だ。植物が感じる12時間と人間が感じる12時間は違う。細かく言えばキリはないが、昆虫(の中でも昆虫によっても)と人間でも違う。これは「環世界」という言葉で言い表せる事ができるけどもあまりに寄り道となるので「環世界」に関しては詳しくは調べてもろうて。とにかく時間の流れは一定ではない、という事が言いたい。
これを前提として、幸せマインドになるためには?
仕事の12時間というその仕事への意識をもっとゆるやかにピントをずらしてボヤかしていく。ピントを合わせるのはあくまで残りの12時間であり、もっと言えばそのピントをボヤかせた状態を続けて仕事の12時間なのか、残りの12時間なのかの境界線を曖昧にしていってみる。
そして時間のピントをボヤかせられたなら、ここからまた別のイメージも描いてみる。仕事が12時間、残りが12時間、という半分ずつのイメージ(図左)ではなく、24時間自身の生活を中心とした円の周りを”稼ぐ”という動詞が衛星のように回り続けているイメージ(図右)をしてみる。あくまで生活が中心だ。12時間仕事をしているから残り12時間が自身の生活というイメージになると大変苦しいことになる。あくまで生活という円も周りに全ての事象(図には稼ぐと遊ぶだけを書いた)がぐるぐる回っているイメージ。そうすれば24時間全て自分の生活だ。その生活にただ”稼ぐ”という動詞が仕事というラベルを貼られて漂っているだけである。
仕事っていうものは厄介だ。すぐに俺たちは囚われてしまう。だからこそこのイメージ図を忘れないようにしていきたい。これが仕事に囚われないようにする為のサバイブ術である。
ちなみにこれを書いている俺は職場のPCでキーボードカタカタと書いている。囚われているのは誰だ?俺なのか?いやまだ多分大丈夫。油断したらすぐに囚われるぜ!
では今日も囚われないようご安全に。