11.07.2024

VISION CONTROL 2

前回のVISION CONTROLはこちら。(こう書くと海外ドラマの最初っぽくなるな。)

7時に起きて仕事モードとなる。平日がだいたい19時に仕事終わるとする。

そしたら大体12時間が仕事モードとする。1日24時間の約半分、それを長期目線で見るならば人生の約半分は仕事の時間となるな、という話題となった。んじゃー果たして本当にそうなのか?問題を書いていく。


上の話だけを聞けば、「人生の約半分は仕事。あとの半分がプライベート。プライベートを重視!とはいえど仕事あってのプライベートであり遊びであり、仕事がなければプライベートも無いよね。」というようなありきたりな”普通という名のシステム”に囚われた言葉、なんだか聞いたことあるような言葉。そういうおもんない事を言わないようにしていく必要がある。

24時間のうち12時間は仕事、であるならば確かに時間としての12時間は24時間の半分、それは間違いない事実。しかし人は本当に時間の流れを半分に感じているのか?ここからは時間の流れを感じるための意識の部分の話になってくる。


例え話をする。

・私は今、信号待ちをしている。あれれ、なんか今日の信号なかなか青にならないな。え!マジでいつまでたっても青にならないぞ、あ、今なった。なげー。なんだこれ。

・私は今、時計の秒針を見ている。それはG-SHOCK的なデジタル時計かもしれない。どちらにしても見ている(意識した)スタート地点によっては1秒の流れがやたらと早い、もしくはやたらと長い、気がする時がある。

・私は今、めちゃくちゃ忙しい。やることがいっぱいだ。午前中のうちにこれだけの事をやらなければならない。あ~やっと終わった。え!午前中こんなに動き回ったのにまだ12時?午後もこんだけ時間あるのか、なんか得した気分。(もしくはまだ動かなければならないと、どっと疲れる)どちらにしても日常に比べるとなんか時間の流れが違うなあ。

・私は今、とても楽しい遊びをしている。(ここからは上の例と同じ)


こういった例え話、誰しもが感じた事があるとは思う。今回の鍵(キー)はここにある!気(キー)がしている。

話を戻す。24時間のうち12時間は仕事。それはそうだ。しかし残り12時間、さらに完全休日の12時間。遊んでいる時の12時間、信号や時計を凝視し続けているだけの12時間、ドラゴンボールの精神と時の部屋にいる時の12時間、人は果たして12時間の流れ方は同じ感覚で捉えるか?違う、と断言できる。となると、上に書いた「12時間働くならば人生の約半分は仕事」という暴論は崩れることになる。よっしゃ〜!となると、俺たちはどういった意識をもって仕事の時間を向き合えば楽しく面白く幸せマインドになれるのか?が分かってくるような気がしてくる。

「人生の半分は仕事」というのはあくまで時間を平面的、ただの数字としてしか意識できていない。時間は流れ続けているという概念である。その流れを意識し知覚しうるのは人間の頭の中だ。植物が感じる12時間と人間が感じる12時間は違う。細かく言えばキリはないが、昆虫(の中でも昆虫によっても)と人間でも違う。これは「環世界」という言葉で言い表せる事ができるけどもあまりに寄り道となるので「環世界」に関しては詳しくは調べてもろうて。とにかく時間の流れは一定ではない、という事が言いたい。

これを前提として、幸せマインドになるためには?

仕事の12時間というその仕事への意識をもっとゆるやかにピントをずらしてボヤかしていく。ピントを合わせるのはあくまで残りの12時間であり、もっと言えばそのピントをボヤかせた状態を続けて仕事の12時間なのか、残りの12時間なのかの境界線を曖昧にしていってみる。


そして時間のピントをボヤかせられたなら、ここからまた別のイメージも描いてみる。仕事が12時間、残りが12時間、という半分ずつのイメージ(図左)ではなく、24時間自身の生活を中心とした円の周りを”稼ぐ”という動詞が衛星のように回り続けているイメージ(図右)をしてみる。あくまで生活が中心だ。12時間仕事をしているから残り12時間が自身の生活というイメージになると大変苦しいことになる。あくまで生活という円も周りに全ての事象(図には稼ぐと遊ぶだけを書いた)がぐるぐる回っているイメージ。そうすれば24時間全て自分の生活だ。その生活にただ”稼ぐ”という動詞が仕事というラベルを貼られて漂っているだけである。

仕事っていうものは厄介だ。すぐに俺たちは囚われてしまう。だからこそこのイメージ図を忘れないようにしていきたい。これが仕事に囚われないようにする為のサバイブ術である。

ちなみにこれを書いている俺は職場のPCでキーボードカタカタと書いている。囚われているのは誰だ?俺なのか?いやまだ多分大丈夫。油断したらすぐに囚われるぜ!

では今日も囚われないようご安全に。


11.06.2024

雑記集6

11月初めての更新。寒いな。忙しくしている基本仕事で。寒くなると忙しい。いやだなーずっと暇人でいたいのに。。。まぁ暇人っぽく振る舞えられたらいいか。なのであまり更新できなさそう。営みとしてできるだけ書くとして。なんか書きたい事結構あった気がするんだけどなあ。忘れっぽいな短期が特に。また思い出すでしょう。あーそれにしても寒い特に夜が。焼酎湯割りにしようかなあ。
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自然や街並みの大きな風景を見て感動するという事は、大人に比べると子供はあまり感じないような気がしている。自分の周りに子供がそんなに多くないからデータとしては少ないけれども。
それはなぜか、を考えていた。
それは大人に比べて子供のほうが圧倒的に普段から遠い(もしくはとても近い、深い)目線、広い世界を見ているからだろう。だからこそ大きな風景を見ても感動が少ない。逆に大人は普段とても狭い世界を見ている事のほうが多い。それは社会的な狭さでもあるし、悩み事のような心の狭さでもある。がゆえに大きな風景を見て一時的な解放の場に感動しやすい。
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仕事中の昼飯なんだけどね。外食することもあるが毎日はお金がもたないのでスーパーでお弁当、時間が無ければコンビニにする。んじゃコンビニのときに何をセレクトするか。できるだけ汁ものは欲しいんだ俺は。いつも身体の内側を温めておく必要がある。んじゃカップラーメンか汁のみのやつになるよね。それプラス、ベターはおにぎりだろう。そのおにぎり何にしようか。俺は迷わずいつも赤飯おにぎり。なんでだろう、いつも赤飯を選ぶね。今日もうまいな赤飯mgmgしながら適当に書いてみたmgmg。

10.25.2024

Instagramここだけ話

フジのお昼の番組、小堺さんの「ライオンのごきげんよう」内のサイコロトークみたいなBlogタイトルになってしまったな。あんなまで不安定なサイコロはなかなか無いよなぁ。あぁまた横道逸れそうだし、ごきげんようは置いておいて。

Instagramで、さらにストーリー機能の部分。ポチポチさくさく手軽だね。てか最近プライベートな投稿ってストーリーにしか上げない感じなんすかね。あれいつからの流れなんだろうね。まぁいいか。ひとまず今日はInstagramのストーリーについて、書きたいことが2つある。


1つ目。

ストーリーの投稿で動画のアップでその動画に音声付いているのは動画だしその動画ファイルの環境音であり、何も思う事はない。が、例えば写真に(((わざわざ)))(わざわざを強調していきたいと思っている)音源を選択して好きな音楽?聴かせたい音楽なのか、その投稿に合わせた音楽なのかを付けているタイプの投稿。あれねえ、シンプルに音がデカい事多くてびっくりするんだよな。動画に付いてる音声や環境音(それはライブ映像などの音も含めて)はそれほど主張してこないんだけど、(((わざわざ))))音源選択しているタイプの投稿の音、ありゃもうほんとううるせー。だってね、Instagramのストーリーはポチポチさくさく流れで見ていくわけでしょこっちは。その時に急にバカでかい音が鳴られるもんだからさ。俺はこうした(((わざわざ)))音源付き投稿をされる方のことを、他者の「音」の部分に対して無粋な人なんだなと感じている。

ちなみにこれを仕事中に職人Wさんと雑談の中で喋っていた。「俺は藤井くんの事よく知ってるから今の聞いてもなんとも思わないけど、人によっては嫌な気分になると思うからあまり言わない方がいいよ。」とアドバイス。そうかもしらん。ただ、ここは俺のUnderground Blogなのでええやろと思っている。


2つ目。

2つ目は美学の話。

ストーリーを投稿する時は多くを語らず写真だけで「凄み」を出していく。

これに関しては実例を用いて説明していく。

まずこの記事。

「世界に一つだけのボク」 SAPAグルメ名物の『アメリカンドッ君』って知ってる?

https://gazoo.com/column/daily/23/03/12/

先日、俺たちはこのアメリカンドックを遊びついでに東名のサービスエリアへ立ち寄り食べにいった。

で、その時の写真をInstagramのストーリーにアップするというシミュレーションをしてみる。




まぁ、ありがちなストーリー。だめだめこんなんじゃ。
ええとね、なんでも説明すればいいってもんじゃない。映画でもさ、やたらと説明っぽいセリフ多かったりして興ざめする映画あるでしょ。せっかくビジュアル良いのにセリフのせいで台無しパターン。俺が言いたいのはそういうことで。
んじゃ「多くを語らず写真だけで凄みを出す」をやってみる。



これだ。
写真だけでも、アメリカンドッ君という存在、そしてケチャップを使って吐血させてみた。というギャグセンスをフォロワーには分かってもらえるはずで。わざわざそれを説明する必要は無い、ということ。説明すればするほどピュアな面白さは減っていく。
これからはストーリーを投稿する前にこの言葉を思い出してみてほしい。
「多くを語らず写真だけで凄みを出す」

インターネットサーフィンとは何か?

スマホ時代になってからのインターネット上での人間の意識をイメージ化してみる。

調べたいことができた、よしググってみるか。あぁ、見つかったわかった。ピントの合っていないふわっとした話題を調べる。あぁ、知恵袋で同じこと聞いてる人いた。なるほど、まぁなんとなく他の人の意見少しわかった。(わかった気がしてるだけ)SNSでアップされている興味をそそられたURLを踏んでみる。ふむふむなるほど面白い。まぁそれだけ。そこから掘ることは無い。以上。
THE 閉ざされたインターネット って感じのする動きなんだよな、どれもこれも。

では、本題「インターネットサーフィン」とは何か?

ダイヤルアップ、ISDN、テレホーダイ、ADSLの時代をイメージ。(イメージできない人は退出してもいいぜ。)このサイト面白いなぁ、興味がそそられる。。。そこのリンク集がまた好きから好きが繋がっていき興味関心が尽きない。うーん、この言葉の意味がわからないな、調べよう。なるほど、そういう意味で使われるのか、となるとこの繋がりある言葉も知りたいな、、、ん、なんだこのホームページ、めちゃくちゃマニアックなにおいを感じてゾクゾクするな、なんだこれは、世の中こんな世界があったのか、もっと調べよう、おぉすげ〜これ自分でも今からやってみようかな、これやるにはここアクセスしてこのフリーソフトダウンロードすればいいのかな、この人こんなこともやってらっしゃるのかカッコいい、あBBSがあるから覗いてみる、あまり書き込みはないけれどお客さんの書き込みに毎回ここの管理人さんがしっかりと返信して下さってる真摯な方だなあ、俺も書いてみようかな恥ずかしいし文章なんて書けばいいかわからないからまた今度にして、リンク集みてみよう、おおこのリンク先のバナーの人かっこいいなこの管理人さんもおすすめされてる行ってみよう。

そう、これが俺達のインターネットサーフィンだ。自分の興味関心、そしてネットの世界に没入している自分自身の意識のフロー、その情報量の流れ。その波に乗り、たまに何も考えずに身を委ねてみるということ。

「ニトラム NITRAM」




















「ニトラム NITRAM」@自宅 映画.comリンク
96年にオーストラリアで起こった銃乱射事件(ポートアーサー事件Wikipedia)を主題、その犯人を主人公として撮った作品。
めちゃくちゃ刺さった、、、。
自閉的だが世界に意識が向いている息子。同じように世界を向いている父親。それを理解できない真逆の母親。父親以外で初めて出会った同じ世界に入る事ができる異性の存在。

俺は選んで離れて暮らしているから他の親子と比べりゃ時間は少ないけども。息子とできるだけ同じ世界に入り続けよう、そして彼をリスペクトし続けよう、と思った。