「憎しみ」
悪口、陰口、差別、いじめ。
戦争、虐殺。
巷では「男って」や「女って」のような2項図式の対立が蔓延っている。
それだけではなく、あそこの国は、あの人種は、あの界隈は、あいつらは、、、など。
もっと射程範囲を狭めていくと最終行き着く先はだいたいこれ。
「あの人は、、、」
悪口、陰口を誰かに話して心のモヤモヤを発散させるのは決して悪いことではない。このクソ社会を生きる為のひとつの発散方法でありサバイヴ術だと思う。
ただし、その「憎しみ」の射程距離と射程範囲を間違えてしまうと争いが起こる。
「あの人は」を心を許した家族やパートナー、親友ではなく、もっと射程距離を長くした大きな声で(クラスや教室、職場、SNSなど)話せば、争いやイジメを生むトリガーになる。憎しみを負う対象はたった一人。それは孤独を強いて最悪の結果となる。
次に「あの人は」より少しだけ射程範囲を拡げた「あいつらは」で考えても同じ事。
「あの人は」よりも範囲が拡がってる分、憎しみの対象範囲が拡がっているゆえに「憎しみ」が分散されて軽くなる。
もっと範囲を拡げていくと。「あの人種は、あの国は」になる。
より憎しみは分散する。
ここで重要なのは、分散するから良き事、というわけではない。
が、射程範囲が広い分、「憎しみ」の対象者は、個人ではないので孤独にはなりにくい。ふ〜ん別に気にならないけどね、で済ませる対象者もいるだろう。
射程範囲をもっと拡げていく。
「男って」
「女って」
今の世の中、大多数の人がこういうだろう。
「男と女で単純に分けて話すのよくないよ。」
でも考えてみてほしいけども、射程範囲を拡げて拡げて拡げまくって対立を作ると「男と女」に最終は行き着く。
そしてそれは本当に「対立」なのか。「憎しみ」ゆえなのか。
男と女、別のコスモロジー、で生きていると考える。分かり合えない、だからこそ、分かり合おうとし続け、アメーバのように溶け合おうとする。それでも分かり合えない、だからこそお互い永遠に溶け合おうとし続ける。
溶け合い、共生、そこに争いは生まれないだろう。
2項対立図式で考えてしまう我々の本能・性を否定するのではなく、それを踏まえた上で、より「射程範囲」を拡げた2項対立図式にすれば、この世の全ての争いは無くなるのではないかと思う。
男と女の争いだけなら、かわいい男女の喧嘩で終わらせられるでしょ!要はそーいうこと。
だから巷で溢れる男女の2項対立図式、「男って」「女って」くらいの射程範囲で言い合いしてるくらいが一番平和なんじゃーないかなー。
ってこの前、話してたから、忘れないように備忘録。でもまだあまりまとまってないけども。