あくまで持論の展開という前提の文章で堅苦しいので、ここ(Blog)へ書いていく。
「その人じゃないといけない理由」のように「理由」や「目的」が先にあるような関係というのはとても寂しく本質的な愛ではない。
「理由や目的なんてない、だけどあなたを愛したい」と思う事が人を好きになるということ。何故、この人が好きなのか?どこがいいの?「分からない、言葉にならない、だけど好き」が本質だと感じる。
だからこそ愛する人へは無償の「贈与」を贈りたくなる。
これこれやってあげたから、これをして欲しいという「交換」のような条件先行型ではなく、あなたに「贈与」を居ても立ってもいられず送りたい。ただそれだけのシンプルな事。
そして「贈与」された側は、居ても立ってもいられず「贈与」を送り返す。「贈与」返し。「贈与の交響」
それって結局「交換」のような条件先行型と同じように見えるが、「理由や目的」が、そうした行動より先にあるか無いか。意識の働きなので捉えにくいし、頭の中が迷路になりやすい。でも本当はとてもシンプルな事。
愛とは。
「理由や目的なんてない」心や意識の働きが「愛」であるならば、
「理由や目的なんてない、だけど側にいる人、贈与したくなる人」が「愛する人」である。
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追記の追記
できるだけ削ぎ落して書いた文章なので、ちょっと抽象的すぎるかもしれないけども。自分の大切な人へ捧げたい。
その人といつまでも一緒に踊りたいと思う。
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