10.25.2024

「ニトラム NITRAM」




















「ニトラム NITRAM」@自宅 映画.comリンク
96年にオーストラリアで起こった銃乱射事件(ポートアーサー事件Wikipedia)を主題、その犯人を主人公として撮った作品。
めちゃくちゃ刺さった、、、。
自閉的だが世界に意識が向いている息子。同じように世界を向いている父親。それを理解できない真逆の母親。父親以外で初めて出会った同じ世界に入る事ができる異性の存在。

俺は選んで離れて暮らしているから他の親子と比べりゃ時間は少ないけども。息子とできるだけ同じ世界に入り続けよう、そして彼をリスペクトし続けよう、と思った。

インターネットサーフィンとは何か?

スマホ時代になってからのインターネット上での人間の意識をイメージ化してみる。

調べたいことができた、よしググってみるか。あぁ、見つかったわかった。ピントの合っていないふわっとした話題を調べる。あぁ、知恵袋で同じこと聞いてる人いた。なるほど、まぁなんとなく他の人の意見少しわかった。(わかった気がしてるだけ)SNSでアップされている興味をそそられたURLを踏んでみる。ふむふむなるほど面白い。まぁそれだけ。そこから掘ることは無い。以上。
THE 閉ざされたインターネット って感じのする動きなんだよな、どれもこれも。

では、本題「インターネットサーフィン」とは何か?

ダイヤルアップ、ISDN、テレホーダイ、ADSLの時代をイメージ。(イメージできない人は退出してもいいぜ。)このサイト面白いなぁ、興味がそそられる。。。そこのリンク集がまた好きから好きが繋がっていき興味関心が尽きない。うーん、この言葉の意味がわからないな、調べよう。なるほど、そういう意味で使われるのか、となるとこの繋がりある言葉も知りたいな、、、ん、なんだこのホームページ、めちゃくちゃマニアックなにおいを感じてゾクゾクするな、なんだこれは、世の中こんな世界があったのか、もっと調べよう、おぉすげ〜これ自分でも今からやってみようかな、これやるにはここアクセスしてこのフリーソフトダウンロードすればいいのかな、この人こんなこともやってらっしゃるのかカッコいい、あBBSがあるから覗いてみる、あまり書き込みはないけれどお客さんの書き込みに毎回ここの管理人さんがしっかりと返信して下さってる真摯な方だなあ、俺も書いてみようかな恥ずかしいし文章なんて書けばいいかわからないからまた今度にして、リンク集みてみよう、おおこのリンク先のバナーの人かっこいいなこの管理人さんもおすすめされてる行ってみよう。

そう、これが俺達のインターネットサーフィンだ。自分の興味関心、そしてネットの世界に没入している自分自身の意識のフロー、その情報量の流れ。その波に乗り、たまに何も考えずに身を委ねてみるということ。

Instagramここだけ話

フジのお昼の番組、小堺さんの「ライオンのごきげんよう」内のサイコロトークみたいなBlogタイトルになってしまったな。あんなまで不安定なサイコロはなかなか無いよなぁ。あぁまた横道逸れそうだし、ごきげんようは置いておいて。

Instagramで、さらにストーリー機能の部分。ポチポチさくさく手軽だね。てか最近プライベートな投稿ってストーリーにしか上げない感じなんすかね。あれいつからの流れなんだろうね。まぁいいか。ひとまず今日はInstagramのストーリーについて、書きたいことが2つある。


1つ目。

ストーリーの投稿で動画のアップでその動画に音声付いているのは動画だしその動画ファイルの環境音であり、何も思う事はない。が、例えば写真に(((わざわざ)))(わざわざを強調していきたいと思っている)音源を選択して好きな音楽?聴かせたい音楽なのか、その投稿に合わせた音楽なのかを付けているタイプの投稿。あれねえ、シンプルに音がデカい事多くてびっくりするんだよな。動画に付いてる音声や環境音(それはライブ映像などの音も含めて)はそれほど主張してこないんだけど、(((わざわざ))))音源選択しているタイプの投稿の音、ありゃもうほんとううるせー。だってね、Instagramのストーリーはポチポチさくさく流れで見ていくわけでしょこっちは。その時に急にバカでかい音が鳴られるもんだからさ。俺はこうした(((わざわざ)))音源付き投稿をされる方のことを、他者の「音」の部分に対して無粋な人なんだなと感じている。

ちなみにこれを仕事中に職人Wさんと雑談の中で喋っていた。「俺は藤井くんの事よく知ってるから今の聞いてもなんとも思わないけど、人によっては嫌な気分になると思うからあまり言わない方がいいよ。」とアドバイス。そうかもしらん。ただ、ここは俺のUnderground Blogなのでええやろと思っている。


2つ目。

2つ目は美学の話。

ストーリーを投稿する時は多くを語らず写真だけで「凄み」を出していく。

これに関しては実例を用いて説明していく。

まずこの記事。

「世界に一つだけのボク」 SAPAグルメ名物の『アメリカンドッ君』って知ってる?

https://gazoo.com/column/daily/23/03/12/

先日、俺たちはこのアメリカンドックを遊びついでに東名のサービスエリアへ立ち寄り食べにいった。

で、その時の写真をInstagramのストーリーにアップするというシミュレーションをしてみる。




まぁ、ありがちなストーリー。だめだめこんなんじゃ。
ええとね、なんでも説明すればいいってもんじゃない。映画でもさ、やたらと説明っぽいセリフ多かったりして興ざめする映画あるでしょ。せっかくビジュアル良いのにセリフのせいで台無しパターン。俺が言いたいのはそういうことで。
んじゃ「多くを語らず写真だけで凄みを出す」をやってみる。



これだ。
写真だけでも、アメリカンドッ君という存在、そしてケチャップを使って吐血させてみた。というギャグセンスをフォロワーには分かってもらえるはずで。わざわざそれを説明する必要は無い、ということ。説明すればするほどピュアな面白さは減っていく。
これからはストーリーを投稿する前にこの言葉を思い出してみてほしい。
「多くを語らず写真だけで凄みを出す」

10.18.2024

雑文集5

新札の登場により、今までは財布の中のお札の上下裏表を合わせるだけだったのに新旧札でフォルダ分けまでしなければならなくなった。
つまり、2倍(上下裏表)の2倍(新旧)で手間の2乗となった。
こういうところが几帳面なんだ俺は。
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森茉莉さん『貧乏サヴァラン』を読んで。
「楽しい」という事は「楽しもうとする姿勢」、つまり能動的に「楽しい」を見つける、思う、事なんだろう。
受動的な「楽しい」は本当に楽しいの?
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同じ世界に入る、お互いのリズムがシンクロしていく感覚。
会って、会話して、同じ世界に入っていくまでの時間が短い、それはとても仲が良いことの現れだと思う。
同じ世界に入っていく、シンクロしていく。でね、この感覚を誰かに話したとする。そしたら、その2人の関係を「依存」と評価を下し、「あまりひとりに依存しないように。そういう対象は散らばせたほうがいいよ。」などとありがた迷惑なアドバイスをしてくる他人様がいるけど。そう言ってしまう方って、人とシンクロして同じ世界に入るって経験が少ない(もしくは一度も無い)のかなぁと感じる。そしてこの「同じ世界に入る事のできる関係」は決して「依存」ではない、というか「依存」という言葉が適切ではない。「依存」とは自分のこころの揺れ動きを示す言葉であり、2人の関係性を表す言葉としては不適切のように思う。
、、、うーんもうちょっとこれは整理する必要があるし、ここから更に「所有」について書いていく必要があるので。気が向いたら続きを書く予。

10.16.2024

雑文集4

職場で月曜日に水を飲んでいると二日酔いだと勘違いされる。
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頭が回ってない日の出来事。
その数字が何ケタあるのか確認する時、
「いち、じゅう、ひゃく、せん、まん」
って数えていた。
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投票行くんダルいねん、まぁ行くけど。。。
なノリで自分はいつもいる。それくらいでいいと思ってて。たまに浅いやつみたいな認定されるけど、ふーんそうなんですねクソどうだっていい。みんな気にしてる投票率だってさ、これくらいのバランス感覚がもうちょい世の中に浸透すれば自然に上がるでしょ。(でも投票率上がらないほうが都合が良いんだろうね。)当たり前の様に、え、投票行ってないの?投票行こうぜ声を上げよう!と言われても、行かない人らは行こうと思わない。だってダルいやん。日曜だよ投票日。予定があるんだよこっちにだって。投票日だって急に決めやがって、行けるわけないだろう?投票日だからって予定変更したくねーし。みんなさぁ投票が好きなわけじゃないだろう。(投票が好きになっちゃってる人いるけどね。おい目を覚ませ。)期日前投票は前よりやりやすくなったけどね、それでも平日に投票如きに仕事抜けてわざわざ期日前投票行くほどの志し持ってる人どれだけいるんすか。できたらさぁ、期日前投票の期間中は24時間開けておくとかさ、してくれたら行く人(行ける人)増えるって絶対に。その24時間の夜勤の仕事だってさ、やりたい人たくさんいるって絶対に。
とにかくもっと楽に投票させてほしい。投票って言ったらなんかメディア、街全体、会話の中で、一種のイベントみたいなテンションにさせてくるけども、、、。出掛けたついでにもっとサクっとやらせてくれ。今だと投票を目的として出かけなきゃいけないでしょう。

などなど悪口言いながらも、だりーけど今回も期日前投票へ行く。日曜日に遊びたいからね俺は。とにかくそれくらいで良いよ投票なんてもんは。まあ行けるのに行かない選択肢はもっと無いけどね、ただそんな張り切らなくてもいいよ、という事を伝えたかった。

10.11.2024

なぜ銭湯ブームなのかを考える

この前、銭湯いって考えていたんだけど、今なぜこれほど銭湯ブームとなっているのか。サウナブームとも言えるけど、とにかく間違いなく銭湯ブームだろう。お客さん増えたよね?かなり。この何年間か。で、俺わかった気がするんだよね。理由。ずばりスマホだ。
今の時代、老若男女みーんなスマホでインターネット接続されっぱなしの時代。ポケットや鞄に入ってるスマホ。いつ鳴るのか、通知か連絡か。仕事の連絡か、家族からなのか、友人知人の連絡か、気になる人からなのか、メルカリ発送通知か、入金催促なのか、メールなのかLINEなのか。その他アプリの通知なのか。通知じゃなくとも自分からSNSでも見るか。周りが気になるからなやっぱ。情報チェックしないと。音楽聴こうか、ドラマでも観るか。特になんかしたいわけちゃうけどあれれ無意識にスマホ触っているのか。まぁとにかく触ってる時、触ってない時関わらず、現代人の意識はスマホのおかげであっちこっちいってるわけで。スマホが無い時代はどうだった?自分の意識が今ここ、この場所、この時間、目の前のあなた、そしてわたし、わたしが見ている風景、匂い、聞こえてくるもの。現代よりももう少し自分を中心とした半径に近い範囲に意識があったはずで。それがスマホの普及、インターネットの表面化(アングラでは無くなった)によって、全ての社会が繋がってしまったことにより人間の意識が自分から遠くへ離れてしまっている。これは現代病なのか?人間の進化の過程なのか?そこは今回の話では脇に置いておいて、とにかく現代人はそれに疲れてしまっている、という事。

銭湯ブームの話に戻る。
現代では上に書いたような事が起こっている。スマホに疲れている。とはいえ手放す事などできない。では、銭湯に入る時はどうか?スマホを持って風呂場へ入るかい?盗撮とかの兼ね合いもあるゆえスマホ持って入れないはずだし誰もスマホなんて持っていないだろう。風呂場でスマホを(半ば強制的に)手放した人間の顔を見てみよう。みんな幸せそうな顔をしている。銭湯だとみんな優しくなるだろう?普段、外側(銭湯ではない場所)ではあんな険しい顔している人も銭湯では優しい顔をしているし、余裕が出ている。他者に対してもとても親切になる。心と心が通じ合うような気がしてくる。原始的な心の気持ちになる。みんなそうなんだから平和だろう。そこにはスマホが無いからなんではないか?自分を中心に意識が回っているそこに有る、ここにいる、この時間を大切に、であれば共有している他者に優しく、となっているのではないか。

結論。なぜ人は銭湯へ行くのか。半ば強制的にスマホを取り上げられる場所へ行く事によってスマホから解放されたいのではないか。似たような場所だと映画館もそうだろうね。映画館でスマホ触るような不届き者いないでしょう。スマホが触れない、意識が向いていない、からこそ映画館で観ると映画を集中して観る事ができる、ゆえに映画館で観た映画体験というのは自宅では体験できない映画体験となる。

集中する、ということの素晴らしさ、気持ち良さ、を忘れかけている現代人が、集中を求めて銭湯やサウナへ「意識の整い」を求めに行くのだろうか。どうだろうか、仮説となるか、いや俺の適当な思いつきに過ぎないか。

10.10.2024

「祭りの準備」


「祭りの準備」@自宅
当時新人として出演されていたらしい桂木梨江さん魅力的な方だなあ。



10.09.2024

禁煙のメリットではなくデメリットを語る

ここ最近、禁煙を始めた。あれれ?ちょっと待てよ。俺はこれから一生タバコを吸わない自分の事を「禁煙している」と伝えていくのか?禁煙という言葉はいつか破るから禁煙であり、俺はそもそもタバコをもう吸ってない、ってだけなんだから「禁煙してる」とか「禁煙中」っておかしな言い方だよな。
タバコ?最近、吸ってないよ。昔は吸ってたけどね。。。
これくらいのノリだろう。
喫煙者なのか、非喫煙者なのか。本当にこれでいいのか?タバコ主体の目線だからこそこういう言葉が生まれてしまう。
そもそも俺はタバコに吸われているのか?俺がタバコを吸っているんだろう。俺がタバコを選んで、俺が吸いたくて吸っていただけ。
もう一回言うけど、禁煙してる。と言わない事にした。もう最近タバコ吸ってなくてね。喫煙者なのか、非喫煙者なのか。ではない。タバコを吸うか、吸わないか。ただそれだけ。今俺はタバコを吸っていない。

ここからが本題。
タバコを吸わなくなった時のメリットって話はよく聞くでしょう。コンビニ行かんなって余計な出費減ったとか、口臭減ったとか、飯が美味く感じるようになったとか。(最後の飯に関しては異論あり。たぶんいつか書く。)
とにかくメリットなんて聞き飽きてるわけこっちは。俺はタバコを吸わない事によるデメリットを書いていく。

ずばり「黄昏れにくくなる」これだ。
街や自然の風景や動き、肌に当たる風の心地良さなどに感動して、ぼ〜っと黄昏れる時間。俺がタバコを吸いたくなる瞬間だ。そしてタバコを吸っている間の約5分間。これが大人の黄昏時間なわけ。
でね、タバコを吸わなくなると、タバコを持ち合わせる習慣が無いと、これができない。風景見ながら黄昏れるなんてタバコ無くてもできるだろう、という意見もあるけど。果たして本当に!?
イメージしてほしい。街中で人や電車の流れ、街の流れ、をぼーっと観察して黄昏時間。俺のような中年男性がタバコも吸わずにぼーっとしている。旅の最中、大きな河が見えてきた。雄大で綺麗だなあ。デカさに圧倒される。その風景を俺のような中年男性がタバコも吸わずにぼーっと見ている。わかるだろう?こんなやつ職質対象でしょう。ここにタバコが一本加わると、まったく見えてくるイメージが変わってくる。職質されない、隠れ蓑としてのタバコ。その隠れ蓑が無くなるわけ。ピンチでしょ。これがタバコを吸わない最大のデメリットである。

これを読むと車の運転が上手になる話

10月初投稿になった。ちょい寒なってきた。
ちょっと前に免許の更新へ行ってさ。人生初ゴールド免許!がはは。自分で言っちゃうけど割と車の運転うまい自信あるんだよね。んじゃどうすれば運転が上手くなるのか、ポイントはひとつしかないわけ。簡単だからね書いてみる。その前に、運転してて周りの車にイライラする人、そこからイライラ運転してる人いるでしょう。そういう人にも読んでもらいたい。というか俺からするとイライラする人は運転下手くそなんだよな。
まぁいいか。前置き終わりで、んじゃそのポイントだけど。
ずばり、「車間距離を空ける」これだ。
車間距離を空けると視野が広がる。当たり前のようだけど、ブレーキパカパカ踏んだりして自分のペースで運転できていないような人を見るとまぁ〜みんな車間距離狭過ぎる。車間を空ければ前方及び周りの車のペースに揺さぶられず自分のペースで運転できるようになる。それがこころの余裕に繋がるゆえに運転中にイライラすることが無くなる。ではどれくらいの車間距離が適切か?これは実は明確にある。まず道路状況(制限速度や車道本数)によって前提が変わってくるので何m空けろとかそういう事では書けない。つまり「前方車両がビビりブレーキした時に自分も釣られてビビりブレーキしちゃうかどうか。そのブレーキに釣られない距離。」が適切な車間距離だと思われる。よく見る光景で、前方車両がブレーキしなくていい状況でビビりブレーキ踏んだら後続車が次々にブレーキ踏んでいる光景。あれはね、みんな車間距離狭過ぎるんだよな。まぁとにかく車間距離を空けることは「視野が広がり、こころの余裕が生まれる。車間距離を取れば空間認識力を高めることができる。」と言う事をわかってほしい。これだけ守れば他のドライバーへのイライラも無くなり交通安全に繋がるということ。少しハンドル捌き間違えちゃってもね、車間空けときゃ大丈夫でしょう。よく運転は(自転車や歩いてる時もそうだけど)空間認識が大事と言われるでしょう。ならば車間を空けて認識しやすくしよう。

空間認識が大事っていうのは、車の運転や歩行中だけではない。その時、自分が置かれた状況を把握するという事。「状況を把握」というのはどういうことか。自分の状況を俯瞰してみるという事。車間距離を取ると視野が広がるのと同じ理屈だ。
例えば悩みや不安があるとする。心がモヤモヤしている。視野が狭いと何かよくわかんないけどモヤモヤして気分がすぐれない、だけどどうしようもない、そのまま落ち込み続けるかもしれない。不安と自分と不安と自分の間を延々と反復横跳びしている状態になる。これが鬱となる構造。
しかし自分の状況やこころの動きを俯瞰してみる事ができれば、それはつまり視野を広げて自分をみてみるという事で。モヤモヤの種が見つかり、あれれ?この悩みクソしょーもないぞ。だってこんな広い視野で見ている自分からするとなんてしょうもない事を考えてるんだよ。と一皮剥ける。イメージ的には自分自身を俯瞰するということは自分自身を多重の外側から、つまり社会全体や社会に置かれた自分なんかをメタ的に見ることによって悩みや不安、苦難に対応する事ができる。この事はもっと詳しく書きたいけれど長くなりそうなのでこれくらいで。
ひとまずね、車間距離を空けるとこころの余裕が生まれる。自分との距離を空ければ(俯瞰する。メタ的に見る。)同じようにこころの余裕が生まれる。

ここからが重要。自分自身を俯瞰して観察したり、意識を多重の外へ外へと向け過ぎると、「自分が生きてるこの世界、この社会全てがくだらなく感じるようになる。」という少し困った事になる。
別にまぁそれでもいいんだけど、あまりに社会に溶け込めなくなると生活しにくいでしょう。楽しく生きたいからなあ。できたら快適に暮らしたい。自分が生きてる社会全てがくだらなく感じてしまうと、生きるためのエネルギーがどんどん減ってしまうし、寝ても覚めてもダルいなぁ、とかなっちゃってもおもんないから。社会がくだらないからって理由で自死したくもないでしょう。んじゃこのくだらない社会の外側へ出る必要がある。
社会の外側とは何か?
言葉で表すのが難しいが「こちら側」「あちら側」のあちら側で。「ゲゲゲの鬼太郎」のような妖怪のいる世界かもしれないし、「トトロ」のような森の中の世界かもしれない、ホラー映画のような世界かもしれない。とにかく、この人間が作り上げた人間の欲と損得勘定と効率性などを考えて作り上げられたシステムの社会からの脱出。それは人によっては内的なスピリチュアルかもしれないし、トトロのように子供にしか見えない世界と呼ぶ人もいるかもしれなくて。ただそんなんじゃなくてもっと身近な場所があるだろう?
森だ。森に入ればわかるけど、森は明確に「あちら側」だと言える。人ならざるもの、場所。その象徴的にも思える。規則性ある現代社会をくだらないと思い始めたら不規則性な森へ出かけるといい。減っていたエネルギーが再充電されていくのが分かる。そしてまたここで重要なのは森で再充電したら森から帰ってくること。「あちら側」へ行ったら「こちら側」へ帰ってくること。行きっぱなしじゃだめだ。充電コード挿しっぱなしにしないだろう?あちらとこちらのバランスが重要。となると、「こちら側」である自分の生きている社会がくだらないと思っているままだと「こちら側」へ帰ってくる理由が見出だせない。「こちら側」楽しくね〜もん!のであれば「こちら側」である自分の生きている社会にも楽しみを見つける必要がある。
映画を観て考え思考を廻らせる事か。自炊をして美味しいものを追求する事か。友人と遊んだりして過ごす事か。愛する人と過ごす事か。
「こちら側」の社会がくだらないと感じ始めたら「あちら側」へ行き、「こちら側」に戻って来たいと思える楽しみを見つけ続ける。
そうすればこちらもあちらも行ったり来たりできるようになる。
「あちら側」の最も身近なひとつは森だと思っている。社会の枠からはみ出した場所。俺が森へ行き、森の中のレイヴパーティーへ遊びに行っている理由はこれなんだろう。車でできるだけ遠くへ行くのが好きなのもたぶんこれで。できるだけ「あちら側」へ行きたいんだよな。よし、一緒に森へ遊びに行こう。そうすればお互いの見ている世界と時間軸が合ってくる。俺は「こちら側」の楽しみを見つけ続けていきたい。