この前、銭湯いって考えていたんだけど、今なぜこれほど銭湯ブームとなっているのか。サウナブームとも言えるけど、とにかく間違いなく銭湯ブームだろう。お客さん増えたよね?かなり。この何年間か。で、俺わかった気がするんだよね。理由。ずばりスマホだ。
今の時代、老若男女みーんなスマホでインターネット接続されっぱなしの時代。ポケットや鞄に入ってるスマホ。いつ鳴るのか、通知か連絡か。仕事の連絡か、家族からなのか、友人知人の連絡か、気になる人からなのか、メルカリ発送通知か、入金催促なのか、メールなのかLINEなのか。その他アプリの通知なのか。通知じゃなくとも自分からSNSでも見るか。周りが気になるからなやっぱ。情報チェックしないと。音楽聴こうか、ドラマでも観るか。特になんかしたいわけちゃうけどあれれ無意識にスマホ触っているのか。まぁとにかく触ってる時、触ってない時関わらず、現代人の意識はスマホのおかげであっちこっちいってるわけで。スマホが無い時代はどうだった?自分の意識が今ここ、この場所、この時間、目の前のあなた、そしてわたし、わたしが見ている風景、匂い、聞こえてくるもの。現代よりももう少し自分を中心とした半径に近い範囲に意識があったはずで。それがスマホの普及、インターネットの表面化(アングラでは無くなった)によって、全ての社会が繋がってしまったことにより人間の意識が自分から遠くへ離れてしまっている。これは現代病なのか?人間の進化の過程なのか?そこは今回の話では脇に置いておいて、とにかく現代人はそれに疲れてしまっている、という事。
銭湯ブームの話に戻る。
現代では上に書いたような事が起こっている。スマホに疲れている。とはいえ手放す事などできない。では、銭湯に入る時はどうか?スマホを持って風呂場へ入るかい?盗撮とかの兼ね合いもあるゆえスマホ持って入れないはずだし誰もスマホなんて持っていないだろう。風呂場でスマホを(半ば強制的に)手放した人間の顔を見てみよう。みんな幸せそうな顔をしている。銭湯だとみんな優しくなるだろう?普段、外側(銭湯ではない場所)ではあんな険しい顔している人も銭湯では優しい顔をしているし、余裕が出ている。他者に対してもとても親切になる。心と心が通じ合うような気がしてくる。原始的な心の気持ちになる。みんなそうなんだから平和だろう。そこにはスマホが無いからなんではないか?自分を中心に意識が回っているそこに有る、ここにいる、この時間を大切に、であれば共有している他者に優しく、となっているのではないか。
結論。なぜ人は銭湯へ行くのか。半ば強制的にスマホを取り上げられる場所へ行く事によってスマホから解放されたいのではないか。似たような場所だと映画館もそうだろうね。映画館でスマホ触るような不届き者いないでしょう。スマホが触れない、意識が向いていない、からこそ映画館で観ると映画を集中して観る事ができる、ゆえに映画館で観た映画体験というのは自宅では体験できない映画体験となる。
集中する、ということの素晴らしさ、気持ち良さ、を忘れかけている現代人が、集中を求めて銭湯やサウナへ「意識の整い」を求めに行くのだろうか。どうだろうか、仮説となるか、いや俺の適当な思いつきに過ぎないか。
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