10.09.2024

これを読むと車の運転が上手になる話

10月初投稿になった。ちょい寒なってきた。
ちょっと前に免許の更新へ行ってさ。人生初ゴールド免許!がはは。自分で言っちゃうけど割と車の運転うまい自信あるんだよね。んじゃどうすれば運転が上手くなるのか、ポイントはひとつしかないわけ。簡単だからね書いてみる。その前に、運転してて周りの車にイライラする人、そこからイライラ運転してる人いるでしょう。そういう人にも読んでもらいたい。というか俺からするとイライラする人は運転下手くそなんだよな。
まぁいいか。前置き終わりで、んじゃそのポイントだけど。
ずばり、「車間距離を空ける」これだ。
車間距離を空けると視野が広がる。当たり前のようだけど、ブレーキパカパカ踏んだりして自分のペースで運転できていないような人を見るとまぁ〜みんな車間距離狭過ぎる。車間を空ければ前方及び周りの車のペースに揺さぶられず自分のペースで運転できるようになる。それがこころの余裕に繋がるゆえに運転中にイライラすることが無くなる。ではどれくらいの車間距離が適切か?これは実は明確にある。まず道路状況(制限速度や車道本数)によって前提が変わってくるので何m空けろとかそういう事では書けない。つまり「前方車両がビビりブレーキした時に自分も釣られてビビりブレーキしちゃうかどうか。そのブレーキに釣られない距離。」が適切な車間距離だと思われる。よく見る光景で、前方車両がブレーキしなくていい状況でビビりブレーキ踏んだら後続車が次々にブレーキ踏んでいる光景。あれはね、みんな車間距離狭過ぎるんだよな。まぁとにかく車間距離を空けることは「視野が広がり、こころの余裕が生まれる。車間距離を取れば空間認識力を高めることができる。」と言う事をわかってほしい。これだけ守れば他のドライバーへのイライラも無くなり交通安全に繋がるということ。少しハンドル捌き間違えちゃってもね、車間空けときゃ大丈夫でしょう。よく運転は(自転車や歩いてる時もそうだけど)空間認識が大事と言われるでしょう。ならば車間を空けて認識しやすくしよう。

空間認識が大事っていうのは、車の運転や歩行中だけではない。その時、自分が置かれた状況を把握するという事。「状況を把握」というのはどういうことか。自分の状況を俯瞰してみるという事。車間距離を取ると視野が広がるのと同じ理屈だ。
例えば悩みや不安があるとする。心がモヤモヤしている。視野が狭いと何かよくわかんないけどモヤモヤして気分がすぐれない、だけどどうしようもない、そのまま落ち込み続けるかもしれない。不安と自分と不安と自分の間を延々と反復横跳びしている状態になる。これが鬱となる構造。
しかし自分の状況やこころの動きを俯瞰してみる事ができれば、それはつまり視野を広げて自分をみてみるという事で。モヤモヤの種が見つかり、あれれ?この悩みクソしょーもないぞ。だってこんな広い視野で見ている自分からするとなんてしょうもない事を考えてるんだよ。と一皮剥ける。イメージ的には自分自身を俯瞰するということは自分自身を多重の外側から、つまり社会全体や社会に置かれた自分なんかをメタ的に見ることによって悩みや不安、苦難に対応する事ができる。この事はもっと詳しく書きたいけれど長くなりそうなのでこれくらいで。
ひとまずね、車間距離を空けるとこころの余裕が生まれる。自分との距離を空ければ(俯瞰する。メタ的に見る。)同じようにこころの余裕が生まれる。

ここからが重要。自分自身を俯瞰して観察したり、意識を多重の外へ外へと向け過ぎると、「自分が生きてるこの世界、この社会全てがくだらなく感じるようになる。」という少し困った事になる。
別にまぁそれでもいいんだけど、あまりに社会に溶け込めなくなると生活しにくいでしょう。楽しく生きたいからなあ。できたら快適に暮らしたい。自分が生きてる社会全てがくだらなく感じてしまうと、生きるためのエネルギーがどんどん減ってしまうし、寝ても覚めてもダルいなぁ、とかなっちゃってもおもんないから。社会がくだらないからって理由で自死したくもないでしょう。んじゃこのくだらない社会の外側へ出る必要がある。
社会の外側とは何か?
言葉で表すのが難しいが「こちら側」「あちら側」のあちら側で。「ゲゲゲの鬼太郎」のような妖怪のいる世界かもしれないし、「トトロ」のような森の中の世界かもしれない、ホラー映画のような世界かもしれない。とにかく、この人間が作り上げた人間の欲と損得勘定と効率性などを考えて作り上げられたシステムの社会からの脱出。それは人によっては内的なスピリチュアルかもしれないし、トトロのように子供にしか見えない世界と呼ぶ人もいるかもしれなくて。ただそんなんじゃなくてもっと身近な場所があるだろう?
森だ。森に入ればわかるけど、森は明確に「あちら側」だと言える。人ならざるもの、場所。その象徴的にも思える。規則性ある現代社会をくだらないと思い始めたら不規則性な森へ出かけるといい。減っていたエネルギーが再充電されていくのが分かる。そしてまたここで重要なのは森で再充電したら森から帰ってくること。「あちら側」へ行ったら「こちら側」へ帰ってくること。行きっぱなしじゃだめだ。充電コード挿しっぱなしにしないだろう?あちらとこちらのバランスが重要。となると、「こちら側」である自分の生きている社会がくだらないと思っているままだと「こちら側」へ帰ってくる理由が見出だせない。「こちら側」楽しくね〜もん!のであれば「こちら側」である自分の生きている社会にも楽しみを見つける必要がある。
映画を観て考え思考を廻らせる事か。自炊をして美味しいものを追求する事か。友人と遊んだりして過ごす事か。愛する人と過ごす事か。
「こちら側」の社会がくだらないと感じ始めたら「あちら側」へ行き、「こちら側」に戻って来たいと思える楽しみを見つけ続ける。
そうすればこちらもあちらも行ったり来たりできるようになる。
「あちら側」の最も身近なひとつは森だと思っている。社会の枠からはみ出した場所。俺が森へ行き、森の中のレイヴパーティーへ遊びに行っている理由はこれなんだろう。車でできるだけ遠くへ行くのが好きなのもたぶんこれで。できるだけ「あちら側」へ行きたいんだよな。よし、一緒に森へ遊びに行こう。そうすればお互いの見ている世界と時間軸が合ってくる。俺は「こちら側」の楽しみを見つけ続けていきたい。

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